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春季練習の最初の5日間、ヒデオ・ノモは1日も休まなかった。 きちんと時間どおりに、他のドジャースのバッテリー組と共に、常にそこにいた。 このドジャースに、自ら手本を示すという点において、ノモに勝る選手はいない。 「彼は最高だ。最高のプロフェッショナルだ」とポール・ロデューカ捕手は言う。 去年の春、再びドジャースの一員としてベロビーチに帰ってきたノモにとって、それは5年間で5度目の移籍だった。日本では伝説的人物である彼の自尊心には痛手だったかも知れないが、初めて当地を訪れた際の、あのノモマニア時代以来最高のシーズンへと、彼は自ら道を切り開いたのだった。 「彼はもう終わった選手だ、そう言う人は大勢いたが、彼らには何も分かっていなかったんだ」とデイブ・ウォレス。彼はノモにとって最初のメジャーリーグ投手コーチであり、現球団副社長だ。「彼ほど一生懸命に練習する選手はいない。もっと賞賛されて然るべきだろう」 ダーレン・ドライフォートが戦列を離れ、ケビン・ブラウンが一度ならず故障するという状況下、ノモはエースにのし上がり、膨大な投球回数を投げ抜いた。成績は16勝6敗、防御率3.39、投球回数220回1/3、奪三振は193だった。96年以来、最高の勝利数、最多投球回数、最高の防御率だ。7月16日以降は負け知らずで、彼が先発した26試合でチームは22勝を上げ、彼自身、14勝1敗という成績だった。 十分満足ですね、ヒデオ? 「いつも今の自分より良くなりたいと思っています。ケビン・ブラウンやランディー・ジョンソン、そしてペドロ・マルチネスを見ていると、自分が彼らと同じレベルに達しているとは思えません。あのレベルまで行けるかどうかも分かりません。満足してはいないですね、僕よりレベルの高い投手が大勢いますから」 昨年、エリック・キャロスはノモを評してこう語った。「ノモは闘士だ。一緒にプレーした投手の中で、最もタフな投手の一人だ」。この言葉について、ノモは返事を求められた。 「僕は決してタフではありません。闘士と言えるほどでもないです。彼ら(先に挙げた投手たち)ほどではありません。もっと良くなれば、彼らのレベルに近づけるでしょう。どうすれば彼らに追いつけるのか、僕にはそれもよく分かっていません。正直に言って、追いつく方法なんか無いのかも知れません。でも、肉体的な面や精神的な面で、自分をもっと磨いていきたいと思うし、出来るだけ彼らに近づきたいと思っています」 今のままでも、彼は十分に優れている。ブライアン・ジョーダンは、対戦相手としてノモを知っていたが、チームメートとして1年間を過ごすうちに、彼のノモに対する評価は高まるばかりだった。 「プレッシャーのかかる場面で、彼がいかにクールに対処できるか、僕には分かっていなかった。他チームから見ているだけでは、何も分からないんだ。でも、チームメートになると、それが分かる。ビッグゲームであろうと、彼は動じないんだ。ああいう男の後ろで守備についていると、本当に勇気づけられるもんだよ。とにかく信頼のおける奴だから、こっちまでリラックス出来るんだ」 「エースという言葉は、称号なんだ。高い給料をもらっていれば、それでエースになれるわけじゃない。ビッグゲームではあの男がマウンドに立っていてほしい、そう思わせるのがエースなんだ。うちの場合、オダリス・ペレスとノモ、そして復帰してくれればケビン・ブラウンがそうだ」 ノモの俸給は、投手陣ではブラウンとドライフォートに次いで3番目だ。 「ケビン・ブラウンがナンバーワンです」とノモは語る。「ボストンでは、僕はペドロ・マルチネスの次でした。ここではケビン・ブラウンの次だと思っています。去年、彼が故障したとき、チームは僕を頼りにするだろうし、自分としては故障しないでシーズンを乗り切りたいと思いました。自分にケビン・ブラウンの代わりが務まるとは思っていません。僕とペレス、イシイ、アンディー・アシュビー、オマー・ダール ユーティリティー・プレーヤーの座を争ってロスター外でキャンプに参加しているテリー・シャンパートは、コロラド・ロッキーズ在籍時にノモを見たことがある。 「見るからに本物のプロフェッショナルという感じだった。文句ひとつ言わず、いつでも戦う準備が出来ていた。怯むことなんかないんだ。クアーズ・フィールドで投げる姿を見てそれが分かったよ。実績のある投手でも、あのスタジアムで投げるときには不安そうな投手が何人もいる。そういう投手たちは、試合前に長い時間をかけてウォームアップするので、怯えているのが分かる。ノモはそうではなかった」 ノモは内気でストイックだが、感情に欠けるわけではない。投手交代を告げられるとき、不満を隠そうとしない。 「彼は礼儀正しい態度でそれを示すんだ」と語るのはジム・コルボーン投手コーチ。「表情や身振りでそれを示す。あるいは、誰と交代するのか尋ねたりしてね。自分は降板したくないのだと、それとなく訴えるんだ」 これこそが、ノモの内に秘められた闘志であり、それが向けられる対象は、マウンド上だけのことではない。95年、メジャーリーガーになるために、ノモは日本の閉鎖的な野球機構と戦わなければならなかった。この春、メジャーリーグ・キャンプには9人の日本人選手がいる。 「イチローや他の日本人選手のために、ノモが道を開いたんだ。もし彼の出来が悪かったら、他の選手たちは今、アメリカにいなかったかも知れない」。新しいチームメート、フレッド・マクグリフはそう語る。「ノモの成功が、各チームのGMたちの目を開かせたんだ。今では毎年2、3人の一流選手が日本から来るようになった」 ウォレスは言う。「もし彼が失敗していたら、どうなっていたと思う? 彼はすべてを失い、何も得られなかったのではないかね?」 日本でオールスターに5回出場したノモは、95年にチッパー・ジョーンズを僅差でかわして新人王になった。彼の成功により、日本の選手はもちろん、韓国や台湾といった東洋の選手たちにドアが開かれることとなった。 「イチローやマツイ、それと僕自身も含めて、多くの選手が彼の足跡をたどっているんだと思います」と、チームメートのカズヒサ・イシイは語る。「ノモさんのようなパイオニアが、道のないところに道を開いてくれるんです。道を作るなんて、大変なことですよ」 「もし、ノモさんが成功していなかったら、(日本人選手は)みんなメジャーリーグに怖気づいていたでしょう。ノモさんのおかげで、日本の投手のレベルがどんどん高くなっています。ノモさんのおかげで、日本で野球をやってから、さらにその先のステップが出来たんです」
by late_bateman
| 2004-09-24 23:24
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