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2週間に渡って雨がキャメルバック山に降り注ぎ、サボテンの花を濡らし、フェニックス周辺の土壌を湿らせた。しかし、春季キャンプに参加する選手たち そんな3月4日、突然、太陽が顔を出した 実戦のマウンドに復帰する感覚をラムゼイに味わってもらいたいと、パドレスは考えていた。最後に登板したのは2001年9月、3Aタコマでのことで、メジャーリーグのマウンドに上がったのは、99年から2000年に短期間だけシアトル・マリナーズに在籍した時が最後だった。今回の登板は、はっきり口にする人は少ないが、彼の投球能力だけではなく、反射神経をテストするためのものだった。パドレスの関係者は懸念していた。彼が守備を十分にこなせず、自らを危険にさらしてしまうのではないかと。 数日前、ラムゼイは化学療法を受けていた。6週間に1度、受けることになっている。その後2日間、彼は練習に参加出来なかった。 「彼は大変な勇気と決意を持っている」。パドレスのブルース・ボウチー監督はそう語る。「彼を応援せずにはいられない。事実、彼はチームの全員を鼓舞してくれる。しかし、打撃投手用の保護ネットがない状態で彼に向かって打球が飛んだ場合を考えると、彼の反射神経はいささか鈍いように見えた。正直な話、私は不安だった」 しかしながらラムゼイは、キャンプ開始以来、他の選手と同様の練習をこなしてきた。「大したものだ」と語るのは、パドレスのマイナーリーグ投手コーチ、リック・サトクリフ。「疲れたに違いない。それなのに、そんな素振りは決して見せなかった」 2001年11月、狩猟に出かけた1日後、かねてから頭痛に悩まされていたラムゼイは、ワシントン州プルマンの自宅に戻り、ひどい頭痛がするとサマンサ夫人に訴えた。これまで何度となく医者に診てもらうよう勧めてきた彼女は、今度こそ頑として譲らなかった。彼も同意して検査を受け、最後にはカリフォルニア大学医療センターの神経外科医、ミッチェル・バーガーのもとに送られた。 「検査の結果ですが」とバーガーはラムゼイに言った。「脳に大きな塊があります。出来るだけ早く摘出しなければなりません」 病名は多形性膠芽腫だった。悪性の脳腫瘍だ。 「わたしは栄養士なので、多少の医学知識があります。ですから、それが何を意味するのか、理解できました」とサマンサ・ラムゼイは言う。「とても動揺しました。でも、ロブもわたしも神を信じていますから、希望を失うようなことはありませんでした」 先日、パドレスの春季キャンプ施設のベンチに腰掛けながら、ラムゼイはこう語った。 「腫瘍の大きさを知ったときは、大変なショックだった。術後どうなるのか、ドクターは話そうとしなかった。『あと3ヶ月の命です』なんてことは言わなかったよ。ドクターが言うには、『人それぞれだ。治療の効果は、人によって違う。医学的に確かなことは言えない』ということだった。この種の腫瘍に関する研究対象は、ほとんどが高齢の人だそうだ。僕は若いし、体力がある 帽子をかぶらずにいる彼の頭は、化学療法のために頭髪がほとんど抜け落ちている。耳から耳まで、頭頂部を横断するように傷跡がある。 最も辛い時期は、去年の6月 「あれには参った」とラムゼイは言う。 3月3日、翌日のジャイアンツ戦でラムゼイに登板のチャンスを与えようと考えたボウチーだったが、不安を拭い去ることが出来なかった。彼はラムゼイと話をした。 「彼らが話しているとき、僕もその場にいた」とサトクリフは言う。「会話の内容は、今でも覚えている」 「どうする?」とボウチーが尋ねる。 「いきますよ」とラムゼイが答える。 「打球が君のところに飛んだ場合を考えると、いささか心配なんだが」 「今回の経験に比べれば、ボールが飛んでくることくらい怖くもなんともありません」 ラムゼイの言葉を聞いた瞬間を振り返り、サトクリフは言う。「鳥肌が立った」 7回裏、ボウチーがラムゼイの登板を告げた。 「僕はマウンドに飛び出していったんだけど、あれは失敗だった」とラムゼイは語る。「うちのキャッチャーが7回表の最後のバッターだったから、僕は出るのを待つべきだったんだ。彼はまだプロテクターを身に着けているところだったので、僕は投げる相手もなくマウンドに突っ立っていた。自分が馬鹿に思えたよ。待つのが当然だったのにね。ちょっと興奮していたというか、舞い上がっていたんだろうな」 いよいよジャイアンツ打線を相手に投げるときが来ると、ボウチーは不安のあまりダグアウトのベンチから身を乗り出した。 「彼のところに打球が飛ばなければいいのだが、という思いもあったが、それだけではなかったんだ」とボウチーは振り返る。「彼が滅多打ちにされて、5点も6点も取られて欲しくなかった。完全に復調したわけではないと分かっていたからね。彼が自信を失ってしまうのではないかと、とにかくそれが心配だった」 1人目の打者の打球が、マウンドに向かって飛んだ。打球はラムゼイが飛び上がりながら伸ばしたグラブを弾いて2塁手の方向に逸れ、2塁手からの送球でアウトになった。続く2人の打者を、ラムゼイは飛球に打ち取った。投球数5、打者3、アウト3、イニング終了。 「宙に浮かんでいるような感じだった」。マウンドを降りたときの気分をラムゼイはそう表現する。「あの瞬間を有り難く思っている。でも、脳腫瘍と宣告されて以来、ちょっとしたことにも感謝しているんだ。たとえば、朝起きてベッドから出るようなことにも」 ダグアウトでは、パドレスの全員がベンチから飛び上がって彼を出迎え、抱き締めた。 ラムゼイは長い道のりを歩んできた。2001年11月、マイナーリーグのフリーエージェントとしてサンディエゴと契約した。その数週間後、脳腫瘍だと知らされた。今、彼はロスター外の招待選手としてキャンプに参加している。 サンフランシスコ戦から2日後の3月6日、彼はコロラド・ロッキーズを相手に6回から登板した。打者2人を打ち取ったが、3人目は内野のエラーで出塁した。ラムゼイは次の打者を四球で歩かせ、さらに次の打者に死球を与えた。満塁になったところで、ボウチーはラムゼイを降板させた。 「彼は役割を果たした。エラーがなければチェンジになっていたわけだからね」とボウチー。「彼のためにも、あそこまでにしておきたかった」 先週月曜日、パドレスは春季キャンプ第1回のプレーヤー・カットを発表し、ラムゼイはマイナーリーグ・キャンプに送られる14人の1人となった。 「ロブにはもっと登板するチャンスが必要だ」とボウチーは言う。「そろそろ先発投手たちが長いイニングを投げられるようになってきたので、ここで彼にチャンスを与えるのは難しいんだ」 マイナーリーグ・フリーエージェントであるラムゼイは、5月15日までビッグリーグで登板することは出来ない。 「事情は理解している」とラムゼイ。「また戻ってくるさ」 先週、監督室の椅子に身を沈めながら、ボウチーはジャイアンツ戦でのラムゼイの投球を思い起こしていた。 「素晴らしかった。彼がマウンドから降りてきたとき、私はダグアウトの真ん中に行って彼の手を取り、みんながどれほど彼を誇りに思っているかを伝えた。物事を簡単に諦めてしまい、そんな自分を哀れむばかりの人もいることだろう。ロブは違うんだ」 ボウチーの声が、優しく響いた。 「今年、彼がビッグリーグのマウンドで投げる姿を見たくてたまらないよ。私にとって、それ以上の喜びなどありはしない」
by late_bateman
| 2004-09-11 00:11
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