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世を去って1年が過ぎた今も、カージナルス・クラブハウスの至るところにダリル・カイルの思い出が残っている。彼のロッカーも、そのまま残っている。クラブハウスの壁には、カイルの絵が飾られている。トニー・ラルーサ監督は、オフィスにカイルのユニフォームを保管している。 しかし、何かが違う。喪失感は今も胸に突き刺さるが、“DK”の思い出から悲痛さは薄らいだ。カイルの元チームメートたち 「1年前とは違う。あの時は、悲しくて胸が張り裂けそうだった」とマイク・マセニー捕手。カイルの親友の一人だ。「今の気持ちとしては、彼を振り返り、友情に感謝し、教えてくれた多くのことに感謝しているという感じだ」 2002年6月22日、カイルは遠征先シカゴのホテルで就寝中に急逝した。彼はただの投手ではなかった。ただの先発投手、ただのエースではなかった。リーダーであり、良き指導者であり、心優しい友人だった。彼とプレーした多くの選手が、同じ印象を抱いている。彼は正々堂々とプレーした。先発を逃したことは一度もなく、「5日ごとにボールを持つ」ことを誇りにしていた。 彼はいつでもそこにいた。それゆえ彼が世を去ったとき、その喪失感は想像しがたいものだった。そこからカージナルスは一つに団結し、ナショナル・リーグ中地区を制覇し、NLCSに進出した。地区優勝を遂げたときも、カイルに敬意を払って祝賀は控えめに行われた。彼が忘れられることは決してなく、今もそれは変わらない。 ジョー・ジラルディには、彼にしかない思い出がある。あの土曜日の午後、リグレー・フィールドの観客に試合中止を伝える役割を託されたのは、ジラルディだった。「カージナル・ファミリーに不幸があったため」試合は中止された、と彼は観客にアナウンスした。 ジラルディの礼儀正しさとカブス球団の気配りに、カージナルスは賞賛と敬意を表した。現在セントルイスでプレーするジラルディは、カイルが今もなおチームにインパクトを与えていることに気づいた。 「このチームにとって大きな存在なのだと思う。どこに行っても、彼のサインや写真がある。去年このチームにいた選手たちにとって、これからずっと人生の一部としてあり続けるのだろう。僕にとってそうである以上に。僕にとっても人生の一部だけど、彼らとは違うんだ。チームメートではなかったからね。彼らが持っているような心の絆が、僕にはなかったんだ」 「去年、彼らには大変な勇気が必要だったと思う。残りのシーズンをああやって戦うのは大変なことだ。彼らはダリルの精神を受け継いで戦い、地区優勝を果たしたんだ」 新しいチームメートたちと同様、ジラルディも今年のレッドバーズを包むDKの存在感を好ましく受け止めている。カイルがチームにもたらしてくれたもの、そして今も与え続けてくれるものを、ようやく彼らは享受できるようになったのだ。 カージナル・ファミリーを去った者たちのほうが、辛い思いをしているかも知れない。カイルを親友と頼んでいたデイブ・ベレスにとって、一周忌はより一層辛いものとなった。ジラルディと反対の道をたどって、彼はオフシーズンにシカゴに移籍した。 「確かに時間が解決してくれるとは思う。でも、いくら気持ちが楽になろうと、彼を忘れることなどあり得ない。毎日、思い出すんだよ、『ダリルとこんなことをしたな』とか『ダリルとあんなこともしたな』ってね。57という数字を目にするたびに、DKが目に浮かぶんだ」 「一日一度は、ふと何かを見てダリルを思い出したり、ダリルとの思い出があれこれとよみがえる。絶対に彼を忘れない。もっと気持ちが楽になればいいんだけど」 カージナルスの選手たちはお互いを心のよりどころに出来るが、ベレスは旧友やチームメートを頼みとするわけにはいかない。 カイルにとって初のメジャーリーグ・チームであったヒューストン・アストロズも、彼を惜しみ、悲嘆に暮れている。 「不思議に思うのは、元気な友人が他のチームでプレーしていると、彼は今日どんなプレーをしたのだろうとチェックするんだけど」とヒューストンのブラッド・アウスムス捕手は語る。「でも、いつもその友人のことを考えているわけではないんだ。ところが今、DKが死んでからというもの、僕はしょっちゅう彼のことを考えている。いろいろなものが、彼を思い出させるんだ」 カイルとプレーした男たちは、去年の夏より気持ちとしては楽になったと言う。彼らが気遣っているのは、ダリルの妻、フリン・カイルと、2人の間に生まれた幼い3人の子供たちだ。夫の元チームメートたちに電話をしてよいものか分からない、悪い思い出を呼び覚ましては申し訳ないから、とフリン夫人は記者たちに語っている。チームメートたちは、彼女に対して同じ思いを抱いている。彼女を気遣う気持ちを知ってもらいたいと思いながらも、いかに伝えるべきか彼らには定かでない。 「彼を忘れることなど許されない」とカージナルスのウッディー・ウィリアムズ投手。「いつまでも忘れない。そして現に、僕たちはそうしている。フリンと子供たちを思うと胸が痛む。彼女も少しずつ立ち直っているようだけど、いつになれば本当に大丈夫なのか、時間が経たなければ分からない」 ラルーサ監督も、同様の心痛を抱えている。 「何よりも辛く、悲しいのは、奥さんと子供たちを思う時だ。電話をしたら彼女に思い出させてしまうのではないか、そう思うことが何度もある。彼女は立ち直ろうとしている。ところがその後になっても電話をしなかったとすると、誰も自分のことなど思っていないのだと彼女は感じてしまうかも知れない。そこが本当に難しい」 あれから1年が過ぎ、関わった者すべてにとって、困難な状況が訪れた。しかし、少なくともカージナルスの選手たちは、お互いを頼り、思い出を分かち合うことが出来る。苦痛の一端が、今や優しい思いやりと、好ましい回想へと、姿を変えたのだ。 2002年6月、追悼式典にて
by late_bateman
| 2004-09-08 21:41
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